何かをバカにする意味で「○○はダサい!」というフレーズをよく見ます。
誰でも一回は見たことあるんじゃないでしょうか?
あとやりがちなのが、ファッションにあまり興味がない人を馬鹿にして「ダサい」って言うのとか。
ちょっと思い付きで書きます。
CONTENTS
「ダサい」とバカにするのが嫌い

ぼくは何かを「ダサい」とバカにするのが嫌いです。
いや、ぼくも「ダサい」って言葉自体はよく使います。
ただ「ダサい」を誰かや何かをバカにするという意味では使っていません。
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カッコいい外見を台無しにする言葉

ファッションにある程度詳しくなってカッコよくなると(もしくは可愛くなると)自信が付きます。
で、自信が付くのは結構なんですがそれを人や物をバカにするのに使わないで欲しい。
「あの人の服ってダサいよね」
「それダサくね?」
こういうフレーズ、一度は聞いたことがあるはず。
いくら外見がカッコよくても、こういうことを言ってたらもったいない。
せっかく見た目がカッコいいなら内面もカッコよくあって欲しい。
まあそこに気を遣うかどうかも個人の自由ですし、否定はしません。ただ個人的にそういうのが嫌いなだけです。
全ての人がファッションに興味があるわけではない

そもそも全ての人がファッションに興味があるわけではない。
好きになることは人それぞれですし、嫌いになることもおなじ。
興味がないジャンルを取り上げてバカにするのって、植物に向かって「貧乏だ」と言うくらい無意味な気がする。
「いや、そんな事気にして生きてないし…」みたいな。
何かの得意/不得意は人間としての価値に関係ない

ファッションに限らず、勉強だとかスポーツだとか何かの得意/不得意は人間としての価値に関係ないはず。
勉強ができないから人間として劣っているとか、スポーツが出来ないから人としてダメだとかそんなことは無い。
オープンな場ではみんな「人間は平等だよ」とか言いそうですが…
まるで”○○ができないと人として劣っている”と考えているような発言をする人は多い。
確かに外見が良くてお金を持っていたらモテるし、学歴が良かったらお金持ちになれる確率は高い。
ただ、それだけ。人間としての価値にはまるで関係が無い。
そもそも、本当にダサいものは存在するのか

そもそもですが、本当の意味でダサいものは存在するのでしょうか。
本当の意味、というのは「どう着こなしてもそれだけですべてが台無しになる」ということ。
ぼくは無いと思います。
どんなものでも着こなしによっては良さになる。
地元の商店街で売ってそうな花柄のエコバッグだって、お母さんが買ってきたような訳の分からないボーダーだって…着こなしによってはむしろ良さになるはず。
- シルエットに気を遣う
- 顔の雰囲気を作る
- カッコいい服の”ハズシ”にする
色々やりようはある。
皆がカッコいい服で固める中、ダサいはずのものをあえて取り入れると「意外といいじゃん」みたいになる。
Travis Scottなら、折り返したらチェック柄が出てくるズボンでもカッコよく見える。
美醜が常に逆転するファッションにおいて、「○○はダサい」と断言してしまうのは恐ろしくてぼくは出来ません。
だって読んでいる方に「○○は(どんな着こなしでも)(ずっと)ダサい」って勘違いさせちゃいそうだから。
読者に誤解させてしまった時点で、発信者の責任でもある。
まあある程度は割り切んなきゃいけない部分もあるでしょうが…。
最近YouTube始めたよ
中の人のゆうりです。最近YouTube始めました。テキトーにやってます^^
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